物部守屋コース
高樹山日羅寺と称し、黄檗宗で、南木の本の樟本神社境内にある。本尊は薬師如来。
お堂に座す厨子は、延宝8年(1680)、平野の豪家末吉勘兵衛利長の寄進によるものである。日羅が百済から帰朝して、阿都の桑市に地を与えられ住み、ここに一寺を建立して薬師如来をまつったのが始まりである。日羅は宣化天皇の時に、百済に渡り、達卒(だちそち)に任ぜられて都城の治安警備にあたり、重く用いられていた。
時に新羅のために任那の日本府が滅ぼされたので、敏達天皇はその回復策を図るため、この智勇兼ね備わり、半島の政情に詳しい日羅を召し帰して、その意見を徴しようとした。百済はこれを拒否してなかなか許さなかったが、たびたびの要請によってようやく許され、百済使や水手をつけて帰朝せしめた。日羅は天皇に対して、兵事よりも百姓保護に努めることによって、国力を充実し、百済を討つべきことを説いた。このため同行して来ていた百済使のために日羅は暗殺されるにいたったという。